【自己開示】絵を描く事とか・NFT始めたきっかけとか・今の環境とか【長文注意!】


ずっと自分のことを話してみたいなと思っていたのですが私は自己肯定感が低くて自分のこととか意見を話すのはとても苦手です。でも臆せず新しいことに挑戦していきたいので勇気を出して自己開示記事を書いてみます(๑ÒωÓ๑)

今日は初ファンデーション挑戦の日ですし、メンタル不安定すぎて居ても立っても居られないんで、、、もう苦手過ぎて逃げてきたことも全部やるしか無いってかんじです!!


子供時代とメンヘラな母

幼稚園時代から絵を描くのが好きで沢山描いて先生がホチキスで止めて本にしてくれたりしていました。カービーの漫画書いてましたꉂꉂ(๑˃▿˂๑)その頃は両祖父母がすぐ隣の家に住んでいたので(ダブル二世帯住宅で)沢山褒めてもらえる環境で年齢なりの絵でしかないのに褒められすぎて(私は絵が得意なんだ♪)って良い勘違いをしていました(母に褒められた記憶は無し)

その後、親が離婚して引っ越しした小学3年の時から長女だったからか私は母親の愚痴聞き役でした。母の会社の人全員覚えるほど毎日愚痴を聞き、父や父方の祖父母、母方の祖母(母にとっては義母)、更には私の妹の悪口、ご近所関係、父親との夜の営みでの話の愚痴まで聞きました。すっかり母の考え方に洗脳された小学生だったと思います。当時は母に必要とされて嬉しかったし、母の話を聞かされ続けていたので全ての被害者は母という認識で、父親のことをいつの間にか以上に嫌悪してました(;^ω^)

小学生のころ姉妹喧嘩すると母親がキッチンで皿を無言で投げて割り続け、その後出て行ってしまい朝まで帰ってこない不安な夜もよくありました(本人曰くパチンコに行っていたと言ってたけどそんな夜通し開いてるパチンコあるのかな・・・)

中学校になるとネットで出会った男が藤木直人に似てるの♪と言ってウキウキと出かけていくことが増え『うちは放任主義だから』とよく言っていました。子供だったので放任主義=自由=良い事だと思っていましたが今思うと全然よくないですよね。このころは母は精神科に通っていて軽い鬱?だったのかもしれません。私も妹も精神が不安定で家庭環境は最悪。私は午後からしか中学に行っておらず妹は完全な不登校になっていました

そんな母は私が幼少期の頃から鏡を見ていたら『ナルシスト気持ち悪い!』、父のちょっとエッチな漫画を見たら『変態だ!変態だ!』と騒ぎ、流行りの歌を口ずさんでいたら『下手くそ!』などと言われそのたび色々なことに自信を無くして親の顔色を伺うようになりました家出して風俗で働いた妹に対して母は影で『便器』と呼んでいました。当時まだ10代だった私は、自分が言われたわけでは無かったけど、本当にショックだったことを覚えてます

今、私が大人になって振り返ると最低な母でしたが当時は酷いことを言われても母が正義だと思っていたし、友達親子の様に仲良く、大好きで全てを肯定していました。きっと共依存ってやつだったと思います

当時もイラスト上達に熱を注いでいて、渾身の出来のイラストが出来上がったので見せたら『全部同じ顔!もう見たくない』と言われてしまいました。あまりのショックで自分を否定されたようで悲しくて私ってやっぱり何やってもダメなんだなーって。”絵で何かを目指そう”という上達思考は無くなってしまいました

絵の上達に対する情熱は当時しぼんでしまいましたが、それでも完全には捨てきれず社会人しながら時々女の子の絵を描く数年でした


その後・絶縁

本筋に関係ないので詳細は割愛しますが、上記に説明した通りそんな母だったので円満な家庭が維持されるわけもなく決定的な事件がありました。(このままだと私の頭は狂ってしまう!)と思い家を出て絶縁。物理的に距離を置いても精神的に受けた毒親からの呪縛みたいなものはすぐには解けず苦しみました。この頃は自分も鬱になっていたと思います

6年間完全に絶縁していましたが妹が実家を出ていったようで、母は寂しくなったのか私に電話をしてくるようになりました。最初に精神誠意(家を出るきっかけになる事件について)謝罪をされたので恨みを持ったまま幸せになることはできないと私も長く苦しんでいたので、許すことはまだ出来ないけど謝罪は一応受け入れることにしました

その当時の私は(自分は特技も趣味も何もないつまらない人間だ)と本気で思っていたので、せめて老後の楽しみにしようとビオラという楽器を習い始めたばかりでした。時々夜の公園でビオラの練習をしていたのですが、ある日ちょうど公園にいる時に母からまた電話が掛かってきたんです!

母とは最低限の受け答えしかしないし心は許さず、壁をもって接する!!と決めていたはずなのに、何を思ったか私は少しだけ上達してきたビオラを聞いてほしくなってしまったんです・・・( ̄  ̄lll)


毒親からの精神的解放

電話越しで演奏し終わると母の第一声はこうでした

『ずっと音外してたね!』

意外にも私はその時全くショックを受けなくて、寧ろ自ら謝罪してまで関係を修復しようとしているはずの母の第一声がそれか・・・と呆れてしまいました。絶縁していた事で母の人間性を冷静に見れる精神的な距離感ができていたみたいです

昔ならショックで頭が真っ白➡自信喪失➡無気力という知らず知らず定番の流れででしたが、この期に及んでまだ母に褒めて欲しかったんだ!私!!と。そんな自分に気づいてしまいショックよりもなんだか気が抜けて笑ってしまいました

そして子供の時から親の酷い言葉によって手放してきた自分の可能性に、母に認められないから何?そんなことで自分の好きな事を手放すの?母の評価が世の中の私の評価じゃないよ?なんでそんなことで自信喪失したの?そんなのめっちゃくだらなくない?って一気に霧が晴れていく感じがしました!

同時になんてもったいないことをしてしまったんだ!って、ただ自分が好きでやっていた事を手放してしまったことに後悔しました。でも失った時間は戻らないのであの時筆を折れなければ・・・と悔やまれる気持ちから失った時間を取り戻したいという気持ちで今のやる気を駆り立ててます

なので毒親のメンタルの呪縛から解放されて30過ぎでやっと自分の人生を生きられてる気がしてるんです!(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑いろんなことに挑戦する勇気が持てるようになったのもこの頃からです


現在の状況(経緯)

そんなこんなで私は実家とは疎遠気ままな一人暮らしをしていたのですが、1年ちょっと前に祖母の家に引っ越してきて同居で介護しながらイラストレーターをしています。母は相変わらずなので認知症の祖母の世話は一切知らんぷりで完全なるシングル介護です

事の成り行きは、丁度コロナが始まった年に近所に徘徊で迷惑をかけ、市が介入して祖母は超スピードで特養老人ホームに預けられました(母が勝手に手続き、祖母本人にも私にも一切告知無く連れて行った!!)il||li_| ̄|○ il||li

良い施設に入れたならよかったのですが、そこは入居者の活動レベルを薬で落とし介護者が楽なように不要な睡眠薬と精神薬を毎日服用させる悪質な施設でした。コロナのせいで面会で家族がお世話に入ることも一切できず、手も握ることもできない状態で、特養に入ってから目に見えておかしなスピードで弱っていく祖母を見ていられませんでした

自分の人生を犠牲にすることになるんじゃないかとか、結婚適齢期なのに今から同居介護なんて始めたらもう絶対先がない!とか、せっかく絵のお仕事が上手く行ってるのに両立できるのか?シンプルに自由が無くなる未知の状況が怖い!

これは自分の自己満足なんじゃないか?時には諦めたり、割り切って目を瞑って生きていく事も一般的に普通なのかな?私が人生で大切にしたいものって何だろう?いろんなことを考えました

 ( ̄・ω・ ̄)ジンセイッテナニ・・・

考えて考えて答えが出せないま最後のきっかけは認知症と薬漬けでボンヤリな祖母が急に正気に戻った瞬間があって、『ユイちゃん一緒に住むのは嫌か?』って頼まれたこと

私はとっさに『何言ってるか分からないよ~』って普段のボケに対応するみたいにわかんない振りではぐらかした。重大な決断だから怖くて軽はずみに即答ができなかった(今思えば正気なばあちゃんはあれが最後だったからつらい・・・)

悩んで悩んで悩み続けて私は強欲なので仕事も最高を目指したいし、結婚も諦めていないし、同列でばあちゃんとの時間もまだ諦められない!!私は全部ほしいんだよおおおお!!!!って思っちゃったんですよね笑

それにやっぱりあんな風にはっきりお願いされちゃったらもう呪いに近くて、断っても引き受けてもどっちにしろ地獄。ならどっちの地獄がいいかな?って考えた( ˘•ω•˘ ).。oஇ諦めて見ないふりして、ばあが死んでから心にもやもや持ち続ける地獄より、今大変でも欲しいもの(はあちゃんとの時間を)取りに行く地獄のほうがはるかにましだって!

これは犠牲でも押し付けられたわけでもなく、ばあとの時間をまだ諦めきれない私の欲!

役所の人にもすごい反対されて(そんな筋合いないのに)、手続きも大変でしたけど、やるって決めたら突き進まないと気が済まない性格で何もかも押し切って今の介護生活に至りました。

自分で決めたとはいえ、認知症介護は想像していたよりはるかにきつくて残酷でメンタルに来るので死にたくなる日ばっかりでした笑っちゃいますね((´∀`))

すごく自分との戦いで勉強になることばかりで成長させてもらっているなって。ばあが最後に身を挺して大事なことを教えてくれてるのかなって思うことが多いです。辛いことのほうが多いけど後悔してないしできればちゃんとばあの最期を看取って上げられたらいいなって今は思ってます

(ちなみにばあのスペックは89歳、要介護4、大動脈弁狭窄症重症、脳動脈瘤2か所、重度のアルツハイマー型認知症、人工股関節周囲骨折で入院中←now!そしてもう数日中にばあ退院できそうです!複雑ぅ!いや、おめでたいです!笑)


NFTを始めたきっかけとお金の話

元々ブラック企業の社畜人生が長かったのでブログ運営(挫折経験ありw)とか仮想通貨とかFIARとか断捨離とか投資とか、スピリチュアルとか副業とかの話題が全般大~好きでYouTubeを見ていて勝手に流れてきました!笑!

2021年10月頃です、しかしその頃は介護でメンタルがもう限界でとてもじゃないけど新しいことに挑戦なんてできる余裕はありませんでした(>人<;)

でも頭の端にNFTやりたいなーってずっとあった1月6日祖母が骨折して入院となってしまい、これ自体は悲しい事ですが私にとって大きな時間が生まれたのでした!!早速準備して第一作目のNFTを1/20にopne sea で出品してこの世界に飛び込みました!

https://twitter.com/yuiminon3/status/1483868788118667264?s=20&t=j_ZMwDtehxQFHoMSzOSPCQ

ばあちゃんが入院しているこの1-2か月で人生決まる・私には今しか無いって焦ってました笑

お金を頂いてイラストを描かせて頂けるようになってから3年間本当に忙しくてご依頼がびっしりで、リピーター様も沢山いて感謝の限りなのですが、個人依頼は単価が安く職業として現実問題生きていくのに厳しいなあ、と頭を抱えているところにNFTを知りこれはイラストレーターとして生きていくことのできる希望の光かもしれない!と一縷の望みをもって始めました

私はこのまま死ぬまで絵を描いて生きていきたいし、10代20代失敗しちゃっても30全然過ぎてからでも夢をかなえられるよ!って体現したいです


誰に何を言われても好きを手放さない

そんなわけで、年齢非公開なんでふわっというとアラサーなんですが(心はまだ10歳!)でも、そんなおっそいスタートでもやればできるんだぞっ!!って見返したいって気持ちもあるし(誰を笑)(あ、小学生の時ハブられたので地元は嫌いだしその子たちは普通に見返したい気持ちあります!(笑)

この長文を打つにつれて後半になってきて開放的になってきたぞー!うおおおおお笑)このままいきおいで書いちゃうぞー!コロナ太りで5キロ太ったぞー!友達ほぼいないぞー! 高校デビューしてギャルだったけど中身変わらず陰キャだから全然キラキラ出来なかったぞー!

人生のほとんど社畜だぞおおお!最近1週間家から出ないことも全然あるぞー!いま昨日と同じ靴下ぁああああ!!ふわふわして見られるけど嘘やズルい大人が許せなくて学生の時から何度店長と喧嘩してバイト首になったか分からないよおうおおおおお!⁽⁽(ી₍₍⁽⁽(ી₍₍⁽⁽(ી( ˆoˆ )ʃ)₎₎⁾⁾ʃ)₎₎⁾⁾ʃ)₎₎怒涛のCO!w

まだまだ自分に自信を持てずにいるし定期的に死にたい気持ちになるんですけど、絵を手放してしまったときの自分より今の自分のほうが100倍好きです。英語だと照れずに書けるので英語で失礼します

Since childhood, painting has been my identity.
Painting is my life itself.

As long as I live, I am a painter.
I have strong ambitions to be an illustrator.

介護死ぬほど大変で本気で後悔する日もあるけど、ボケたばあちゃんといる私が私らしくて私はそういう性(さが?)なんだなと仕方ないと思ってます

纏まっていませんが以上、私はそういう人間です・・・!!

(あああああああ自己開示怖いです!!!

こんなに自分のこと書いちゃって!!引きますか!?引きましたね?

何にも無かったようにすました顔して隠れていたかった!!!笑)でもこんな長文を読み進めてくださったあなた(なんと5558文字!笑)感謝します!

私に興味を持ってくれてありがとう!!!

↑何気ないこの投稿に皆さん沢山あったかい反応くださって・・・この長文を表に出す勇気になりました><感謝です!!


私はもう誰に何を言われても

好きを手放しません!

誰もが何にもとらわれず

自分らしく 生きられますように!

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